本当はこんな記事を書きたくはない。
実際、この原稿はかなり前に仕上がっていました。
ただ、なんとなく今まで記事を掲載できずにいた。
ただ、自分の感情が風化しないよう、自分の気持ちをここに書き留めておこうと思う。
正直いって、NBA STATS GALLERYは別に超有名サイトではない。
閲覧数もそこまで沢山あるわけでもない。
ただなんとなく、自分の気持ちに「ふんぎり」がつかなかったのかもしれない。
でも、ようやくこの記事を掲載しようと決心した。
「コービー・ブライアント」というスターの死について。
2020年1月27日の朝は少し寝起きが悪い日だった。
目が覚めてもベットの中でグダグダとしていた。
ただ、妻からの
「コービーが死んだってよ!今ニュースやってるよ!」
その言葉で飛び起きた。
ニュースを見ながら
「っは?何これ?どうなってんの?」
何が何だかよく分からないパニック状態だった。
当サイトの『NBA STATS GALLERY』は、僕と兄の2人で作っている。
幼いころから、NBAを熱心に観戦してきた。
もちろんコービーが入団した時から引退するまで。
そんな兄にもLINEで「コービーが…」とメッセージを送った。
返答は「知ってるよ。最悪の気分だ…」と返信があった。
お互い、それ以外のメッセージは送っていない。
僕たち兄弟の中でも本当にショックなことだった。
有名人や著名人が、病気や事故などで亡くなったニュースの記事を読んでも、正直「あぁ~そっか」位にしか思わない。会ったこともないし話したこともないから、そこまで大きく感情移入することができるわけがない。
個人的に大好きな音楽バンド、LINKIN PARK(リンキン・パーク)のボーカルだったチェスター・ベニントン氏が自殺したニュースを読んだ時や、映画ワイルドスピードにも出演していたポール・ウォーカー氏が自動車事故で亡くなったニュースを読んだ時などは、本当に悲しかったが正直涙は流さなかった。
ただ、やっぱり今回は違った。
それほどまでに心の中のショックが大きかったんだと思う。
そして、今でも信じたくないと思ってしまう。
1月27日の朝はネットや動画サイトはあまり見ないようにした。
きっと「コービー・ブライアント氏が死亡」ってたくさん出てくるだろうから。
気分的にそんな記事をあまり見たくはなかった。
仕事を終え、自宅に帰ってきてからYouTubeでコービー・ブライアントの追悼ムービーを見た。その日行われた試合や選手のインタビューなどが流れていた。レブロン・ジェイムズはもちろん、ドック・リバースHCやティロン・ルーHCなどたくさんの監督や選手が悲しんでいる映像が流れていた。
そして、自然と涙が流れて大泣きした。
同じムービーを何回も見て何度も泣いた。
実は、コービーがルーキー時代から3連覇するくらいの間は、本当に大嫌いだった。その時代はアイバーソンが大好きなプレイヤーだった。
だからなんとなく「コービーは敵」って見ていたのかもしれない。
ひどい話しだがコービーが何をしても本当にムカついていたのをよく覚えている。
3連覇をした相棒のシャックがチームから出ていき、自分よがりのプレーをしているコービーも毛嫌いしていた。ただ、次第にリーダーシップやチームプレーを尊重するバスケットをするようになってきた時くらいから、コービーの凄さが垣間見えたと思う。
アキレス腱を断裂して、足を引きずってプレーする姿勢。
高校時代から誰よりもバスケットの練習を熱心に行った姿勢。
NBAに入ってからもその努力を惜しまない姿勢。
そして、引退試合で60得点を記録した試合。特にラスト3分15秒の神がったプレー。
僕の中で、『コービー・ブライアント』は「嫌い」と「好き」の両方の気持ちを抱かせてくれた偉大なプレイヤーだった。
そして沢山の感動と興奮を与えてくれた。
実際に会ったことはない。
もちろん話したことも、見たこともない。
でも、僕の人生の中で本当に大きなインパクトを与えてくれた人だったのは確かだ。
最後に…
あなたが、NBAでバスケットボールをしている姿を見せてくれてありがとう。
たくさんの気持ちを背負ってプレーしたあなたを本当に尊敬します。
天国でも大好きなバスケットボールを最愛の娘さんと思う存分楽しんで下さい。
コービー・ブライアント 本当にありがとうございました。