【NBA】90年代にアレン・アイバーソンと共に築き上げたフィラデルフィア76ersの黄金時代

1995年3月。バスケットボールの”神”と呼ばれたマイケル・ジョーダンの電撃復帰。ブルズ帝国の復活と共に、NBAの人気が沸騰していったのをよく覚えています。

そして翌年の1996年。
NBAの歴史にも、私個人のNBA史にも大きなインパクトを与えてくれた選手がNBAに入ってきます。NBA史上の大豊作とも呼ばれた、96年ドラフトの1巡目1位でフィラデルフィア76ersに指名されたアレン・アイバーソン。

ここからフィラデルフィア76ersの再建と共に、個人的なNBA熱が最高潮まで高まっていきました。NBAにここまでのめり込み、ゲームを観て一喜一憂させてもらった、フィラデルフィア76ersとアレン・アイバーソンについて、今回はご紹介したいと思います。

最悪の勝率からスタート

1996年のドラフトで、フィラデルフィア76ersに入団したアイバーソン。入団当初のポジションはPG(ポイントガード)でしたが、入団当初から超絶技巧なクロスオーバードリブルを駆使した、超スコアリングガードでした。
ルーキー時代から得点能力に関しては、抜群で1試合40得点以上のゲームを5戦連続で叩き出したほどです。

https://youtu.be/BGw8mnHI6IA

「ただ身長が低い選手が個人技で点を獲る」ってことなんですが、本当点の獲り方がカッコ良いんです。当時はこのプレースタイルを見れば見るほど引き込まれていきました。
ルーキーのアイバーソンがマイケル・ジョーダンに向かって果敢に1on1を仕掛けていく姿なんか、本当惚れちゃいましたね。

https://youtu.be/I87d50hrxRA

ただ、ボールを保持しすぎるプレースタイルやチームとして機能しないこともしばしば。なので、なかなかチームを勝利に結びつけることができませんでした。

SG(シューティングガード)には、1995年ドラフト1巡目3位指名のジェリー・スタックハウス。フォワードにはデリック・コールマンやクラレンス・ウェザースプーンが在籍していました。
ただ、スタックハウスもコールマンも非常に優秀な選手ではありましたが、当時のチームケミストリーは最悪の状態。当時のNBAはディフェンスが重要視されていたのですが、はっきり言って非常に悪いディフェンス力だったかと思います。当たり前ですが最初は弱小チームからのスタートでした。

シーズン 勝率 DV順位
1996-97 22 60 0.268 6位

ラリー・ブラウンHCによるチーム改革

そこで、フィラデルフィア76ersのオーナーである『ビリー・キング』は翌年の1997-98シーズンから本格的なちーむ改革に取り組み始めます。
名門UCLAやカンザス大などでも指揮をとり、1993-1997まではインディアナ・ペイサーズで指揮をとっていた名将ラリー・ブラウンを監督として迎え入れます。
ラリー・ブラウン非常に厳しいコーチとしても有名。チームの規律やチーム練習に対しての考え方など、細かい指導が入っていたそうです。入団したばかりのルーキーは試合に出さず、ただひたすらゲームを見させて勉強させるのは有名な話しです。
そんなラリー・ブラウンはチームの中心選手にアイバーソンを置き、ディフェンスを重要視してのチームを作り上げていきます。

そして、1997-98シーズンの途中と1998-99シーズンの途中に大規模なトレードを実行。 デリック・コールマン、やジェリー・スタックハウス、ティム・トーマス( 2名とも1995年ドラフト )などを全て放出。シーズン終了後にはジョー・スミス( 1997年ドラフト )も放出しました。ちなみに、この放出された選手たちはドラフト上位の選手ばかりで、今後チームの中心選手になると予想されていた選手ばかりでした。そして新たに迎え入れ、新しいチームが編成されました。

C:セオ・ラトリフ
PF:タイロン・ヒル
SF:ジョージ・リンチ
SG:アレン・アイバーソン
PG:エリック・スノウ
6th:アーロン・マッキー
ルーキー:ラリー・ヒューズ

玄人好みで、超いぶし銀なプレイヤーばかりを集めたんですね。もちろんディフェンス力に定評のあるメンバーで構成されています。

個人的に残念だったのが、1998年ドラフトで入団したルーキーのラリー・ヒューズ。あっけなく翌1999-00シーズンの途中にゴールデンステート・ウォリアーズに放出されてしまいます。アイバーソンとポジションが被っていたので、しょうがないですがクイックネスと爆発的な得点力が好きだったんですよね。。。

そして、アイバーソン自身のターニングポイントとなった、ポイントガードからシューティングガードへのコンバートもこのタイミングでした。HCのラリー・ブラウンとは色々な確執も取り沙汰されましたが、ここからアイバーソンは飛躍的な成長遂げていきます。

徐々にチーム力が向上

チーム改革を進めた翌1998-99、NBAはマイケル・ジョーダンの引退やブルズ王国の崩壊があり、NBAは戦国時代と呼ばれていました。さらにはロックアウトの影響もあり短縮シーズンとなりましたが、前年より改革を進めてきたフィラデルフィア76ersは、チームケイミストリーの向上やラリー・ブラウンのディフェンス哲学がチームに浸透し、28勝22敗の成績を収めます。短縮シーズンとは言え、チームは8年ぶりに勝ち越しました。
そして、このシーズンでアレン・アイバーソンは1試合平均26.8得点を記録し初の得点王に輝きます。
SG(シューティングガード)にコンバートされたことにより、 今まで以上にゴールを意識し、得点を稼げる環境を整えたことがよかったんですね。
ちなみに、これを実現できたのには、フィジカルも強くディフェンス定評のあるエリック・スノウがゲームコントロールとディフェンスを専念し、アイバーソンの負担を軽減させたことが大きな要因です。
ディフェンス時には、アイバーソンとスノウのコンビ力は抜群でピックアンドロール仕掛けられても、阿吽の呼吸でスイッチを行っていました。その時はスピード力のあるアイバーソンが上手くスティールをする姿がハイライトで映し出されていました。
オフェンス力は最弱になったフロントコート陣ですが、ディフェンス力はリーグ1の力を誇っていました。そして、オフェンス力を高めたい時はシックスマンのアート・マッキーがベンチからよく登場していました。

翌1999-00シーズンも49勝33敗の成績を残し、プレーオフに出場。ただ、ここでもカンファレンス・セミファイナルでインディアナ・ペイサーズに敗れてしまいます。1998-99シーズンのプレーオフに続き、ペイサーズに2年連続で敗れる形となってしまいました。

76ersは遂に黄金期へ突入

そして遂に時が満ちたって感じましたね。
2000-01シーズンはなんと開幕10連勝。さらに、オールスター後にラトリフやナジー・モハメドを放出し。アトランタホークスから、センターのディケンベ・無トンボを獲得しディフェンス力をより強化します。
そして、シーズンが終わってみると56勝26敗の成績で東地区の首位に。
シーズン得点王とMVPをアイバーソンが両方獲得。ムトンボが最優秀ディフェンス賞。アーロン・マッキーがシックスマン賞。HCのラリー・ブラウンが 最優秀監督賞受賞とチームで4冠を獲得。

プレーオフでは宿敵インディアナ・ペイサーズにも勝利し、トロント・ラプターズやミルウォーキー・バックスとの激戦を制し、なんと18年ぶりのNBAファイルまで勝ち進みます。
ファイナルではプレイオフ無敗のロサンゼルス・レイカーズを 延長の末勝ったが続く4試合を落とし、優勝を逃してしまいました。
そして初戦でアイバーソンがティロン・ルーと行った1on1のシーンが超有名。
その後、何回もハイライトシーンで放送されていましたね。

https://youtu.be/NAZvvaT79g8

NBAを心底楽しむことができた

アイバーソンが中心となり、フィラデルフィア76ersが黄金期だったのは2000-01シーズンだけだったと思う。
ファイナルにまで進出したチームは、その後

2001年ドラフトでサミュエル・ダレンベアを指名。キース・ヴァン・ホーンやグレン・ロビンソン、さらにはクリス・ウェバーなどビッグプレイヤーが加入するが、その後の成績はいまいち…
2004年ドラフトで1巡目9位指名でアンドレ・イグダーラが入団し、アイバーソンとのコンビを組むが、2006-07シーズンいアイバーソンがトレードで放出。76ersとアイバーソンの時代に幕を閉じた。

当時、フィラデルフィア76ersのチームがどんどん強くなっていくのを見て、本当にチームケミストリーの大事さを感じました。
役割分担がちゃんとされたチームは、いつの時代もゲーム観戦が本当に楽しいです。
ただ、このフィラデルフィア76ersのインパクトは、若かった私に与えたインパクトは衝撃的なものでした。同時にその時代のNBAを見れたのは本当に幸運だったのかもしれまでん。

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