【NBA】90年代 ジョーダン率いるブルズ王朝の到来とレイカーズ黄金期の再来

NBA 1990年代

マジック&バードが活躍した80年代が終わり、90年代はブルズ王朝到来の時代である。
名勝負、乱闘とまさにNBAの醍醐味がギュっと詰まっている年代で、1992年開催のバルセロナオリンピックで誕生した初代ドリームチームが活躍し、NBA人気がアメリカ国内から世界に羽ばたいた10年でもあった。

【90年代 初期 シカゴ・ブルズ王朝の到来】

90年代初期は何と言っても第1期ブルズ王朝の3連覇ではないだろうか。
マイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズに84年に入団してから7年経ち、スコッティ・ピッペンやホーレス・グラントを鍛えまくって、目の上のたんこぶのアイザイア・トーマス率いるデトロイト・ピストンズの壁を超えたのも最初に優勝を手にした時である。
スコッティ・ピッペン曰く、チーム練習の後にジョーダンと個別トレーニングを行うのだが、その練習内容は凄まじかったようだ。特に1対1の練習では徹底的に打ちのめされたそうで、後に「試合に出ていた方が楽なんだ」と語っている。



20代のジョーダンのプレイスタイルはとにかくスピードと跳躍力を生かしたペネトレイトからの空中戦が主流で、滞空時間が尋常じゃなく長く、同じタイミングでブロックに跳んでいるビックマンのディフェンスなどものともせず、ダブルクラッチやそのままダンクするなどハイライトシーンは数知れず。

そして91年ファイナルではかのマジック・ジョンソンのレイカーズを敗っての初優勝。そこから92年はポートランド・トレイルブレイザーズのクライド・ドレクスラー(SG)、93年はフェニックス・サンズで、この年のMVPであり親友のチャールズ・バークレー(PF)をそれぞれ敗り、マジックもバードもアイザイアも成し得なかった3連覇を達成する。ここまでブルズとジョーダンの話になってしまったが、勿論それ以外もこの時代を彩ったチームや選手は数多くいる。

先にあげたパトリック・ユーイングのニューヨーク・ニックス。持論であるがNBAはこのニックスとレイカーズが強くないと盛り上がらない(笑)特にニックスの本拠地MSG(マディソン・スクエア・ガーデン)でのプレーオフの盛り上がり方は他のチームのそれとは大きく違う。バスケットボールのメッカであり、観客も目が肥えている為、ヘタれたプレーをしようものならホームの選手であろうと関係無くヤジるのである。多分世界一バスケに厳しい都市と言って良い。映画監督のスパイク・リーをはじめ著名人が多く観戦にきてるのも見所である。

80年代レイカーズを率いたパット・ライリーがニックスのHCに就任し、ゴリゴリのディフェンスチームを作る。チャールズ・オークリー(PF)、アンソニー・メイソン(PF)、ジョン・スタークス(SG)、デレック・ハーパー(PG)、そしてユーイング。曲者ばかりだが、確かな実力を持ち何度もブルズに立ち向かい、何度も跳ね返され、やっとブルズに勝利出来たのはジョーダン引退後。ジョーダン引退後の翌年にファイナルに進出するもロケッツに敗れ一歩届かず。悲しすぎるチームだったが個性豊かで90年代を代表するチームの一つである。

また、’92,’93年にファイナル進出したトレイルブレイザーズ、サンズも素晴らしかった。ブレイザーズはドレクスラーの他にテリー・ポーターやクリフォード・ロビンソンがチームを盛り上げていた。もし、もし、、ここにドマンタス・サボニスの父アルビタス・サボニスが入団していたら、、なんて私はいつも思う。シュート、リバウンド、アシスト何でもこなせるオールラウンドセンター。パック・ウィリアムズとのツインタワーがあればもっと面白いチームになっていたハズ。ソビエト出身であった為、アメリカとソビエトの冷戦真っ只中で情勢的には入団が厳しかったが素晴らしい素質の持ち主で、90年代中盤に入団した。サンズに関してはバークレーの他にアシストとペネトレイトが得意なケビン・ジョンソン、アウトサイドシューターでハートフルなダン・マーリー、ダニーエインジが活躍。当時私も大好きなチームだった日本にもかなりのファンがいて、90年代では皆が知ってるメジャーなチームである。特にバルセロナオリンピックではバークレーはヒール役で一躍世界的に有名になった。

【90年代 中期 センター最盛期とジョーダンの復帰】

ブルズが3連覇するとジョーダンが1度目の引退をしてメジャーリーグに転向する。その間94,95年はヒューストン・ロケッツがNBA史上最高と名高いアキーム・オラジュワンを要し2連覇を達成する。90年代の特徴として有能なセンター達が活躍した時代でもあった。

オラジュワン、ユーイングは勿論、アロンゾ・モーニング、シャキール・オニール、ディケンベ・ムトンボ、リック・スミッツ、ブラッド・ドアティ、デビッド・ロビンソン、マヌート・ボル、アルビタス・サボニス、マーク・イートンなどなど、、現代の様にスモールラインナップではなく、PGはビックマンにボールを入れ、そこから得点、またはキックアウトからのミドルジャンパーや、ガードがペネトレイトで引き付けてビックマンにパスするなどなど、ビックマン中心のプレイスタイルが多かった。

94年はユーイング、95年はオニールを敗って名実ともにセンター時代の頂点に君臨したのがアキーム・オラジュワン。95年にはSGにかつてのジョーダンのライバル、クライド・ドレクスラーを加えて、サポーティングキャストにはサム・キャセールやロバート・オリーなどがいて、今考えるとバスケIQの高い選手が数多くいた。また当時のオーランド・マジックやインディアナ・ペイサーズが非常に勢いがあった。

90年代を語る上で、オーランド・マジックのアンファニー・ハーダウェイ&シャキール・オニールの登場は欠かせない。201cmでのPGはマジック・ジョンソン(206cm)以来のビッグPGで、プレーはとにかく華麗で繊細。ドリブル1つとっても他の選手とは一線を画し、得点力もあり、ペネトレイト良し、ジャンパー良し、パス良し、顔良し、で将来を有望視されていた。(因みにスラムダンクの山王工業の沢北のモデルにもなっている)そしてシャキール・オニール。当時はまだ若く、身体もシェイプされていて得点、リバウンド、ブロックと縦横無尽にコートを駆け回っていた。(因みにスラムダンクの名朋工業の森重寛のモデルにもなっている、、、多分)95年のシーズン途中にジョーダンがNBAに復帰するのだが、プレーオフ準決勝で勝利してジョーダンの闘争心に火をつける。

インディアナ・ペイサーズは何と言っても皆大好きレジー・ミラー。とにかく言葉が汚い。滅多に乱闘を起こさないジョーダンでさえブチ切れてミラーに殴りかかる程。多分ジョーダンも積もり積もっての行動のような気がする。ただ、プレーは天下一品で、クラッチタイムでの得点力はジョーダンと並び称され、何度もチームを救った。その名も「ミラータイム」と呼ばれて有名であった。ニューヨーク・ニックスとのプレーオフは名勝負数知れず93-94プレイオフで4Qで25得点奪取や、94-95プレイオフの試合終了16.4秒で6点ビハインドだったのに立て続けに8得点決めて勝利した試合は印象的であった。(スタークスのフリースローミスが悲しかった。。。)ただ、、ミラーがアトランタオリンピックでドリームチームに選出されるとちょっと牙がなくなり、優等生になったかと思ったが、、97-98シーズンのプレイオフでメディアインタビューでミラーとユーイングの言葉の小競り合いをしたりと、とにかくこのマッチアップは楽しかった。

そして95年はジョーダンがNBAに復帰し、ブルズが新たに生まれ変わる。ホーレス・グラントがオーランド・マジックに放出され、インサイドの穴をかつてのバッドボーイ、デニス・ロッドマンが加入し活躍する。当時シカゴ・ブルズのオフェンスはトライアングルオフェンスを採用しオフェンスパターンが電話帳一冊分くらいあると言われ、且つ複雑で選手たちを悩ませる一方で、デニス・ロッドマンは新加入にも関わらず、オフェンス機能を熟知し、周囲を驚かせたと言う。また、ディフェンスではロン・ハーパーの存在も大きかった。とかくブルズはジョーダン&ピッペン&ロッドマンのトリオが有名であるがこのハーパーこそがディフェンスの要であったと言っても過言ではない。3連覇も72勝もハーパーのディフェンスなしでは成し得なかっただろう。特に95-96シーズンのブルズは8連覇をしたセルティックスを上回りNBA史上最強と識者の間でも目されており72勝10敗でシーズンを乗り切り、プレーオフでも難なく優勝を手にした。ただ、この後の97,98年は一筋縄ではいかなかった。

97,98年のファイナルは2年連続同一カードでシカゴ・ブルズvsユタ・ジャズであった。NBAにはジョーダン&ピッペンやシャック&コービーの様な有名デュオが数多くあるが、ジャズで20年近く一緒にプレーをし、欠場もほとんどせず、毎晩毎晩ピック&ロールのオンパレードのストックトン(PG)&マローン(PF)を忘れてはいけない。マローンは毎晩毎晩コツコツ得点することから「メイルマン」なんてあだ名がついた、

ジャズはそれ以前もプレーオフの常連ではあったもののチームとしてのピークは丁度97,98年で、ジョーダンが復帰さえしなければ2連覇していてもおかしくないチームだった。特にこの2年のジャズはピック&ロール以外のプレーでも精度が高く、特にデイフェンス面では他を圧倒していた。入団したばかりのダンカンなど相手にならず、シャックが加入したレイカーズも当時4-0(スウィープ)で圧倒だった。(当時のレイカーズはシャック、エディー・ジョーンズ、ニック・バン・エクセル、コビー、4人もオールスターに選ばれる程人材豊富だった)バスケットボールのチーム作りに於いてスター選手を集めるのではなく時間をかけ、練習量を増やし、選手間の関係性を築きプレーの精度を上げて結果を残したチームと言える。(因みに当時のジャズHCはジェリー・スローン、ちょっとスパーズに似てる。)

そんなチームなのだからブルズは簡単に勝てるわけもなく、毎試合接戦続きで観戦してる方も疲労感が半端なかった。特に当時の戦略の風潮としてディフェンス重視で、スコアの方も84-82(’97年ファイナル第1戦)とかなりのロースコアゲームが続いた。なので得点入るまでは重い重い(笑)ちなみに上記スコア、ブルズが勝利したのだがジョーダンのブザービターで決着。ブザービーター決めた後のジョーダンが特に喜ぶわけでなく、軽くガッツポーズし、そのクールさに魅せられたのを覚えている。それと何と言ってもその年の第5戦、ジョーダンが食中毒で体調不良の中38得点決めてピッペンに支えれたシーンもたまらなかったし、’98の第1戦でジャズに敗戦し、悔しさのあまりピッペンがボールを蹴ったのも印象的だった。

、と色々思い出はあるが、ジョーダンは何とか勝ち抜き、あの伝説のラスト・ショットを決めて2度目の3連覇と、2度目の引退をし、ピッペンはヒューストン・ロケッツに行き、HCのフィル・ジャクソンは勇退する。ブルズ王朝は終焉を迎え、これより先は新時代の到来である。

【90年代 後期 新時代の到来】

1998-99シーズンはロックアウトにより試合数が減り50試合に短縮。オールスターも中止で地味なシーズンとなるかと思いきや、そこは90年代の盛り上げチーム、ニューヨーク・ニックスの出番であった。プレーオフで史上初のイースタンカンファレンス8位からのファイナル進出を果たす。当時はミラクルニックスと言われ、タレントは揃っていたがシーズンでは力を発揮出来ずにいた。ところが、プレーオフに入るとアラン・ヒューストン(SG)、ラトレル・スプリーウェル(SG)、ラリー・ジョンソン(SF)、マーカス・キャンビー(PF/C)、そしてキングコング、パトリック・ユーイングが底力を発揮しプレーオフで上位進出チームをバッタバッタと倒す。特に因縁の対決ペイサーズ戦での試合終盤のラリー・ジョンソンの4PプレーはMSGが歓喜に沸いた。私含め当時のペイサーズファンにはたまったものではなかったが。。。

ウエスタンは昨年ファイナル進出のユタ・ジャズがシーズンを通して本調子を取り戻せず、ポートランド・トレイルブレイザーズにセミファイナルで敗退してしまう。

98-99シーズンより新時代の到来、と記載しようにサンアントニオ・スパーズではミスターバンクショット、ティム・ダンカンが開花する。97年入団、ルーキー時よりオールスター選出、NBA1stチームと次代のNBAを背負う若者と94-95シーズンMVPデビッド・ロビンソンとのツインタワーでインサイドを圧倒し初優勝を飾る。ハイポストからローポスト、エイブリー・ジョンソンとのピックアンドロール等基本に忠実で負けにくいチームだった。ちなみにティム・ダンカンの愛称は「ビッグファンダメンタル」(シャキール・オニールが命名)ファイナルはニックスとの戦いであったが、ニックスはファイナル進出までが勢いのピークで4-1とスパーズにあっけなく敗れ、スパーズの球団初優勝を飾る。

1999-2000シーズン

新時代の到来。。。と言いたいところだが、レジーミラー最期の勇姿でもあった。確かにオールスターは今までとは顔ぶれも大きく異なり、アイバーソン、コビー、ダンカン、ガーネット、と次代のNBAを背負って立つ選手が数多くみられた。90年代最期のこの年以降、プレイオフで活躍するのは90年代中盤ドラフトの選手で、この99-00シーズンを最期に80年代ドラフト組は徐々に衰退していく。そして87年ドラフト、レジー・ミラーが最期のエース級選手のトリを飾った。かの有名なレイカーズの永久欠番、NBA殿堂入りのシャック&コービーにあえなく敗れてしまうが、2000年代に入る時代の節目というか、ドラフト以降1つのチームで最期はファイナルにまで進出する様なチームを作ってきた選手はなかなかいない。(昨今ではダンカンとかコビーとかいるが。。。)

そしてこの年王者レイカーズはHCにブルズ王朝を築いたフィル・ジャクソンを加え、シャック&コービー、グレン・ライス、ハーパー、と錚々たるメンバーを揃え3連覇を成し遂げるのだが、それは2000年代でご紹介することにしよう。

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