【NBA】2000年代 ロサンゼルス・レイカーズ 黄金期の幕開け

NBA 2000年代


マイケル・ジョーダンの引退と共にブルズ王朝も終焉を迎え、新たなる時代の到来となったNBA 2000年代。若手の台頭と彼らが繰り広げる群雄割拠の戦国時代と2000年代はこんなキャッチフレーズがよく出回った。
しかし蓋を開ければ2000年代NBAチャンピオンに輝いたのは…
ロサンゼルス・レイカーズが4度 (00-01 01-02 08-09 09-10)
サンアントニオ・スパーズが3度 (02-03 04-05 06-07)
とこの2チームだけで、7度の優勝をしていることから結局2強の時代であった。



もっと言えば、この2001年~2010年の10年間は常に活躍し続けていた
「コービー・ブライアント」と「ティム・ダンカン」の時代と言っても過言ではない。

【NBA2000年代初期】


1999-2000シーズン優勝のレイカーズが、2000-2001シーズンと2001-2002シーズンでも優勝し、優勝し3連覇を成し遂げます。

ちなみに、NBAを3連覇することを『Three-peat スリーピート』と呼び、2連覇のことは『Back to back バック トゥ バック』と呼びます。
2001年に優勝した、ロサンゼルス・レイカーズのコービーが優勝パレードの最後に、
「Back to back to Back」と3連覇の目標を大声で叫んでいたのが印象的でした。

最初の優勝時(1999-2000)はシャック28歳、コービー21歳で当時は何連覇するのか期待に胸が膨らんだ方も少なくはなかったと思います。
シーズン中は調子が悪く、シャックとコービーの不仲説がメディアにもバンバン取り沙汰されましたが、プレイオフになれば必ず復調し優勝する。NBAの歴史の中でもBEST3に入るデュオだと認識している。

2000-2001シーズンはカンファレンスファイナルでマイケル・ジョーダンの相棒だったスコッティ・ピッペンがいたトレイルブレイザーズ戦の激闘。
2001-2002シーズンは、ファイナルまで負けなしの無敵っぷりを披露。
(因みにNBAファイナルの初戦でアイバーソン率いる76ersに連勝記録をストップされる)2001-2002シーズンはカンファレンスファイナルでクリス・ウェバー率いる(多分キングス歴史史上最強)サクラメント・キングスとの激闘などなど。

上記は全てレイカーズの激闘を挙げたが、これらの試合を観るだけで十分当時のレイカーズの強さを堪能できる。また、2000-2001シーズンのレイカーズを史上最強チームと唱える識者も多数いる。


初期はこのようにレイカーズを中心に展開された。
勿論その他のチームも元気が良く、ウエストではダンカン&パーカー&ジノビリが結成初期の頃でまだ攻守の中心がダンカンだったスパーズや、ウェバーとディバッツ、ジェイソン・ウィリアムズからのマイク・ビビー、ストヤコビッチやターコルーもいて、それらの選手をまとめたのはリック・アデルマンというヘッドコーチで攻守のバランスのとれたキングス(個人的にこのチームは大好き)や、スティーブ・ナッシュ&ダーク・ノビツキー&マイケル・フィンリー、ショーン・ブラッドリーも忘れてはいけない多国籍軍団のマーベリックスは、ドン・ネルソンが率いており、ラン・アンド・ガンスタイルでとにかくオフェンス重視のチームだった。


イーストは何と言ってもアレン・アイバーソン率いる76ers。史上最も小柄な得点王で、PGからSGにコンバートしオフェンスに集中するようになってからのアイバーソンは凄まじく、公称183cmだが180cm無いとも言われており、ゴールを死守する大男に吹き飛ばされてはまた向かっていく様は本当に胸を打つものがあった。
(得点アベレージ30点を超えるシーズンも何度かあった)

また、サム・キャセール、レイ・アレン、グレン・ロビンソンのビック3のバックス、ジェイソン・キッド、ケニョン・マーティンのアリ・ウープが半端なかったネッツ、チャンシー・ビラップス、ベン&ラシード・ウォーレスの最強ディフェンスのピストンズもいた。

従兄弟同士のヴィンス・カーター&トレイシー・マッグレディのスーパーダンカーコンビのラプターズは本当に衝撃的でした。

アラン・ヒューストン、ラトレル・スプリーウェルのニックスなども人気があり、当時ニックスはクリス・チャイルズという控えのPGがいたのだが、これがまた気が強くニックス人気を支えた一人であった。


そして2003年にレブロン・ジェームズがNBA登場である。
マイケル・ジョーダンとマジック・ジョンソンを足して2で割った選手、と何かの雑誌に書いてあったのを今でも覚えている。
当時ありえない話だと笑ったもので、周りのNBA好き達もジョーダンやマジックを見て育ってきた連中なので半分バカにしたものだった。あれから約15年経ち、それがちょっと本当っぽくなっているのに驚く。ルーキー時より彼のプレーは18歳のものではなかった。体格はすでに203cm 109kgあり、ボールハンドリングやゲームメイクも出来ることからPGでも起用されていた。ルーキー時はプレーオフには出場出来なかったが十分将来を期待されたルーキーシーズンだった。


また、ここでコービー・ブライアントの大記録を紹介したい。
私は今でも鮮明に覚えていて、コービーが2006年1月22日のラプターズ戦で81得点を記録したのだ。今まで私が知る限りではデビット・ロビンソンの71得点やマイケル・ジョーダンの69得点(プレーオフ記録だけど)など、当時のNBAの得点の限界みたいなものがこれらの数字だと思っていた。

当時コービーには色々な苦難があり、03-04に婦女暴行で逮捕されたり、シャキール・オニールとフィル・ジャクソンと袂を分かち04-05シーズンから彼がレイカーズの顔となったが、怪我などでプレーオフ進出を逃すなど不名誉なことが多々あった中のこの大記録であったことに、彼の精神力の強さと実力を力づくで示した彼の凄さを知った。
81得点という途方もない記録の背景には凄まじい努力と、絶対に周囲を認めさせるという強い思いがあったからこそ為し得た記録だと思う。逆境に立たされ、或いは奈落の底に落とされてそこから這い上がる、その精神力に感銘を受けた大記録であった。

【NBA2000年代後期】


今更だが2000年代のファイナルカードと勝敗をあげてみた。

2000-2001 ロサンゼルス・レイカーズ 4-2(インディアナ・ペイサーズ)
2001-2002 ロサンゼルス・レイカーズ 4-0(ニュージャージネッツ)
2002-2003 サンアントニオ・スパーズ 4-2(ニュージャージ・ネッツ)
2003-2004 デトロイト・ピストンズ 4-1(ロサンゼルス・レイカーズ)
2004-2005 サンアントニオ・スパーズ 4-3(デトロイト・ピストンズ)
2005-2006 マイアミ・ヒート     4-2(ダラス・マーベリックス)
2006-2007 サンアントニオ・スパーズ 4-0(クリーブランド・キャバリアーズ)
2007-2008 ボストン・セルティックス 4-2(ロサンゼルス・レイカーズ)
2008-2009 ロサンゼルス・レイカーズ 4-1(オーランド・マジック)
2009-2010 ロサンゼルス・レイカーズ 4-3(ボストン・セルティックス)

こうしてみると改めてレイカーズのファナイル出場がやたらと目につく。
その一方で2000年代後期は2003年ドラフト組のドゥエイン・ウェイドが05-06ファイナルで神がかった活躍をしたマイアミ・ヒートや、06-07のレブロン・ジェームズがカンファレンスファイナルのピストンズ戦で尋常でない活躍をし(第5戦で48得点など)キャバリアーズのファイナル進出があった。リーグもファンも次世代のスーパースター達の登場に時代の流れを感じずにはいられなかった。


ところが、ボストン・セルティックスのGMダニー・エインジはとんでもないことをしでかす。セルティックスのエース、ポール・ピアースにシアトル・スーパーソニックス(今のオクラホマシティ・サンダー)のエース、レイ・アレンとミネソタティンバーウルブスのケビン・ガーネットのビック3を形成したのである。
このビック3は私の中で96-97シーズンでヒューストン・ロケッツがオラジュワン、ドレクスラーに加えチャールズ・バークリーを獲得して以来のビックトレードでテンションが上がりまくった。とかくスーパースターを獲得すると金銭面の問題でサポーティングキャストのクオリティーが下がり、チーム力が落ちると言われていた。
ところが彼らはそんなネガティブな情報をあざ笑うかの様に2007-08シーズンのビック3形成初年度に優勝する。(年間66勝16敗をあげといてプレーオフで苦しんだが)
このトレードは後のマイアミ・ヒートのウェイド、ボッシュ、そしてレブロンの3キングスの構成に大きな影響を及ぼすのだが、またの機会に紹介したいと思う。

レブロン・ジェームズのキャバリアーズが本格的に強くなり、プレイオフの常連チームとなったのだが、06-07シーズン以来ファイナル到達は果たせなかった。レイカーズのコービーとのファイナル対決が望まれる中、前述したセルティックスのビック3の登場や、オーランド・マジックのドワイト・ハワードの成長などがあり、レプロンとコービーがファイナルで相見えることはなかった。
レイカーズとキャバリアーズ、、、ファイナルで戦う姿をよく妄想したものだ。コービーがレブロンに引導を渡す姿、コービーがレブロンを蹴散らす姿、本当は見てみたいシーンは腐るほどあったが夢叶わず。

他のチームというと、相変わらずリーグは西高東低で、ウエストは2003年組のカーメロ・アンソニーが活躍していたデンバー・ナゲッツにアイバーゾンがトレードで加入しデュオを組んだ時はテンション上がった。しかし、勝率は上がらずすぐに解散となってしまったが。
そして、2009年にステフィン・カリーが地味に登場である。巧みなボール捌きと3Pを武器にNBAに入団し、1年目から即戦力として活躍していたがなかなか勝利数を増やすことができなかった。デロン・ウィリアムズ、カルロス・ブーザーの攻守のバランスのとれたユタ・ジャズ、スティーブ・ナッシュ、アマレ・スタッダマイヤー、ショーン・マリオンのオフェンス偏重型でラン・アンド・ガンの権化マイク・ダントー二率いるフェニックス・サンズ、これにスパーズ、マーベリックスが常にこの時代のプレーオフ常連であった。

イーストはキャバリアーズ、セルティックス、マジック3強時代と言って良いと思う。あまり紹介してこなかったが当時のオーランド・マジックは素晴らしかった。今でこそストレッチ4などと呼ばれているが、オーランド・マジックにもヒディエット・ターコルーというトルコ人選手がいて、Fで208cmなのだがインサイド、アウトサイドプレーはできるし、パスもうまかった。これに当時攻守全盛期のドワイト・ハワード、ゲームコントロールが非常に巧みないぶし銀ジャミーア・ネルソン、どちらかというと玄人好みな選手が多くいて、ディフェンスの固いチームだった。

ノビツキー然りだが2000年代後半から急速にこの様な長身プレイヤーで3Pが打てる選手達が出現してきた。(私が思うストレッチ4の原点はサム・パーキンス)
2000年代プレイオフの常連ピストンズはベン・ウォーレスをシカゴに放出し戦力は低下し、マイアミ・ヒートはシャックの衰えとウェイドの怪我で勝てない時期がかなり続いた。ギルバート・アリナス、アントワン・ジェイミソン、カロン・バトラーを要するワシントン・ウィザーズも2000年代中期はかなり面白かったが、このチームもアリナスのコート外のトラブルもあり試合に出れない時期があり、どんどん戦力が低下していった。

ボストン・セルティックスのダニー・エインジGMの手腕によりボストンにはタレントが揃い、弱いボストンから強いボストンに変わっていった。。きっとこのことが他チームに与えた影響は大きく、この時代以降スタープレイヤーを揃えて強化していくチーム、いわゆるパワーハウスは増えていく。

【NBA2000年代の総括】


雑誌『HOOP』の1998年の12月号にコービーやダンカン、ガーネット、アイバーソンなど当時若手有望選手たちの将来に期待を込め、200X年のオールNBAチームを予想したコーナーがあった。私はこのコーナーが大好きで、久しぶりに雑誌を開けたらページがボロボロになっていた。かなり読み込んでいたコーナーが200X年のファーストチームである。
紹介すると、シャック、コービー、ガーネットにペニー・ハーダウェイ、グラント・ヒルである。

1998年にジョーダンが2度目の引退をして、NBAを象徴するようなスーパースターが去り、ファンもメディアもネクストジョーダンは誰か、なんて考えていた頃だった。
しかし、インターネットの普及も手伝い、よりNBAはグローバル化になり2000年代は90年代とはまた別の意味でNBAをメジャーにしたと言っていい。
その一つの要因として海外選手、特にヨーロッパの選手が多くNBA入りしたことだと思う。今までになかったプレーが多用され長身プレイヤーがガードに近い動きが出来たり、シュートがうまかったり、、、プレーの内容を大きく変えて、より楽しめた。
また、ヨーロッパにもより多くのファンを持つことで、コービーやシャックのような
選手だけでなく、様々な選手がアメリカ国内だけでなく、ヨーロッパやアジアからも認知された。

つまり、2000年代は当初200X年のファーストチームの面々が活躍したプラス海外選手達の活躍がなければ今に至っていないかもしれなかったということである。
NBAの間口を広げた当時のコミッショナー然り、各チームのGMの柔軟な考え方は素晴らしいと思う。NBAを未来につなげた10年だったと私は思う。

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