マイケル・ジョーダンの相棒として、シカゴブルズの黄金期を支えたピッペン
高校時代175cmでポジションはPG、大学入学後急激に身長が伸び、フォワードにポジションが変わってもPGをやっていた経験からボール運びやらパスが非常にうまかった。体型も手足が長い為リバウンドやスティール、ディフェンスにも秀でていた。この素材の上に神様マイケル・ジョーダンが鍛えまくって、90年代にはNBAファーストチームやディフェンシブファーストチームにも何度も選出された。
また、80年代後半バッドボーイズのデトロイト・ピストンズからのラフプレーは時にジョーダンよりも激しく受け(ほとんど暴行に近かった)、90年代初めのニューヨーク・ニックスからの執拗なマークというかタックルも受け、精神的に強靭になったことも非常に大きかった。どうしてもマイケル・ジョーダンにスポットライトが当たってしまうが、本当に当時のシカゴ・ブルズを支えていたのは彼だし、ジョーダンが1度目のカムバックをした時に彼がいなかったら2度目の3連覇は成し得なかったと思う。
シカゴ・ブルズの真骨頂はトライアングルオフェンスと思われがちだが、平面のディフェンスが半端なく強く、敵のボール運びから攻めたディフェンスでスティールからの速攻や、ハーフコートではジョーダンのアイソレーション、伝家の宝刀トライアングルがあった。そのディフェンスの中核を担っていたのがピッペンだった。時にはエースストッパーとなり、強力なPGに手を焼いたら20cm以上身長が高いピッペンがマークし、勿論スピードでも引けを取らずディフェンスする姿はアンチブルズとしてはいつも脅威であった。。。
印象に残っているのは90年代中盤に彼がブルズのホームでキャリアハイの47得点を取った時に、大差でブルズが勝利していたのでフィル・ジャクソン(当時の監督)がベンチに引っ込めた時に、観客からブーンングが起こった。観客はもう少しでピッペンが50得点に到達が可能だろうというブーイングだったのだ。ピッペンは自分がキャリアハイ47得点取ったのに気づいたのは試合終了後で、ブーイングの意味をその時知ったのだ。
どんだけフォア・ザ・チームなんだと考えさせられた。考えてみればジョーダンがスキャンダルまみれになった時、チームが崩壊しなかったのもピッペンがジョーダンとチームとの架け橋になったし、ジョーダン引退後チームリーダーになり勝率が落ちなかったのもピッペンがみんなを支えた結果だと思う。ピッペンはずっとブルズと年俸の件でチームと揉めていたが腐らずチームを支えていた。
なんか書いてて涙が出てきた。
NBA史上最高と称されるオールラウンドプレイヤー達の中でも、特にスコッティ・ピッペンはプレイだけじゃなく、きっとロッカールームでもチームケミストリーの構築に貢献していると思う。
本当はもっと書きたいが今回はこれくらいにしておこう…